こんにちは、てくとらです!
織田家の人質となっていた竹千代の人質交換が行われたと言われている場所「安祥城」
安祥城は現在はありませんが、本丸跡には大乗寺、二の丸跡には八幡社が建てられています。
安城市歴史博物館の敷地にあるので、特別展「家康と一向一揆」もぜひ行ってみてくださいね。
安祥城址(安城城址・安城城跡)
安祥城は永享年間(1429~40)に和田氏の居館として築かれた後安城松平家4代(親忠・長忠・信忠清康)の居城となり、その後清康は本拠を岡崎城に移しました 。
大乗寺
本丸跡に建てられているのが大乗寺です。
楼門
天文9年(1540年)に、織田信秀が安祥城を奪い、城代として信長の兄 織田信広を置きました。
その後、今川軍の攻撃によって落城信広も捕らえられ、織田方の人質になっていた竹千代(徳川家康)との人質交換を経て、今川の将が城を預かることになったのです。
桶狭間の戦いで今川が撤退すると信長と家康の「清洲同盟」が結ばれ安祥城は廃城となりました。
本多忠高碑
本多忠高は本多忠勝の父。
徳川家康の祖父・父に仕えていました。
織田VS今川の安祥合戦において今川軍に属して討死しました。
案内図
復元された範囲などが分かりやすく書かれています。
安城城(安祥城)の縄張り
昔どのようなお城だったのかが分かる図になっています。
安祥城のあたりは昔から湿地帯でした。
湿地帯では、馬は走ることができなく、人も足を取られてなかなか前に進むことが出来ません。
なのでモタモタしているところを、城から攻撃することができるのです。
現在も水気の多い場所となっておりますので、雨の後などは気を付けて歩いてください。
八幡社
二の丸跡に八幡社が建てられました。
文明11年(1479年)信光から安祥城を与えられた「松平親忠」は城の守護神として「八幡社」を勧請したと伝えられています。
手水舎
一の鳥居
二の鳥居
記念碑
アクセス
愛知県安城市安城町赤塚1
0566-76-4097
電車の場合
名鉄西尾線「南安城駅」から徒歩12分
車の場合
無料駐車場あり
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